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2009/01/10

音故知新



よく『演歌』と聞くと「古くさい」とか「どこがいいの」とか「みんな一緒に聴こえる」という人がいる。先日、知り合いの女性が友達に自分のiPodを見せたら「入れてある曲が古い」と笑われたそうだ(演歌ではないが)。

しかし、よく考えてみてほしい。曲は古くなったりしない。錆び付いたのは自分の感性だということを。誰だって自分に合った好きな曲や音楽のジャンルがある。それは思い出とリンクしている場合もあるし、メロディーラインが自分好みだということもあるだろう。

歌詞の内容が好きだったり、そのアーチストのものだったらなんでもよかったり、果ては音さえしていれば、波の音でも線路の音でも、街の雑踏でも心地よかったりする。それを、50年前の白黒テレビと、いまの大画面薄型テレビの性能を比べるように笑ったその人こそ、希薄な価値観しか持っていないとあわれに思ってしまう。

最近の音楽がダメだといっているわけではない。今の曲だって心を打つ良いものはたくさんある。しかし、それをただ追いかけるだけで「古いものは悪しきもの」「過去のものはダサイもの」と感じてしまう人たちがたくさんいることも現実だ。

流行っているものがあれば、みんなが認めているものなのだから、それが一番良いものだという安直な気持ちで求める。時が経てばルーズソックスや、かかとが20センチもある靴のように下駄箱にも入らず消えてゆく。その行動の中に自分というものはどこにもいない。

もし、そのiPodの中にモーツアルトやシューベルトなどクラシック曲がギッシリ入っていたとすればどうだろう。その友達も笑うどころか「スゴいね」と尊敬のため息を漏らしたに違いない。とっても古い曲にもかかわらず。

最近、Jポップにラップ系のものが多くなった。言葉遊びというか、あれはあれでなかなかシャレていてノリもいい。しかし聴いていると、どうも「トニー谷」がかぶってきてしまって、カッコいいというよりも、むしろ滑稽な感じがしてしまうのは歳のせいざーんす。

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