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2008/12/22

転訛



マンガンさんのコメントを受けてつくづく思いました「言葉なんていい加減なもの」だと。『富士』は「不死」あるいは「無事」が転訛したものだとか。たとえば、むかしの人が「あの山には霊験があり、登ると富と地位が得られるから富士ってどうよ」と、思いつきで言ったとします。それを聞いた人は、他の人に「そうなんだって」と伝える。そこですでに「不死山(ふしやま)」が「富士山(ふじやま)」に変化します。(ウソですが)

言葉はそうして別の言葉に、あるいは複数の言葉に変化してきたのだと思います。ですから、言葉のほとんどはむしろ元来の発音が訛った(変化した)ものだと言ってもいいでしょう。漢字が伝わる前から言葉はあったわけですから、のちに近い「音」の漢字が当てられたり、外来語が耳に聞こえたように表記されたり、または形態から、場所から、さまざまな条件の中から誕生し、流行していったのだと思います。

ほとんどの言葉には語源が複数あり、しかもその多くが現在とは「字」も「音」も異なっています。過去の文献などで証明されているものもあるようですが、だいたいは諸説あり、どれが本当か(またはどれもウソか)わからないのが現状のようです。語源由来辞典

そもそも『大和』はなぜヤマトと読むのか、邪馬台国(正式には邪馬壹国)がヤマトコクに変化したという安直な説もありますが、それじゃあなぜ「大和」という字を使ったのか。邪馬台国とか倭国(正式には倭奈)が出てくるのは中国の文献であって、日本の記紀にはそのような言葉は出てこないというのです。

『日本』だって同じで、もともと中国では、北のはてが「孤竹」、南のはてが「北戸」、西のはてが「流砂」、東のはてが「日下」という観念的な地理感覚があって、東方のことを「日下」と言ったのだそうです。それから当時あった扶桑国や倭国を統合してヤマト王権が出来て、八世紀初頭、大宝律令が確立されたときに『日本』という国号も定められたと言われています(「日下」を「日の本」という考え方から)。また、聖徳太子が「日出處天子云云」とかいって、隋の反感を買ったとかいう話もあり、当時から「太陽が昇る国」という概念はあったようです。

しかし、それすら推測でしかなく、どこかに「だから日本とした!」と書いてあるわけでもないので、実際のところはハッキリしていないのです。

そんなわけで、国号の由来すらわかっていない国の、言葉のひとつをとって「この説は間違っているか」と議論しても結論の出ない話だと思うのです。そういった証明は専門分野の言語学者や考古学者に任せておいて、一般人は「へーへーへー」とか「ありえねー」とかネタで盛り上がるのがちょうどいいのかもしれません。

カンボジア→カボチャ、アメリカン→メリケン、イクラ→ikra(ロシア語)など、外国語由来といわれる日本語もたいへん多いです。しかしそれすら、本当かウソか聞いた人が自分で租借するしかないのではないでしょうか。

もうじきにクリスマス。語源は「クリストゥス・ミサ」で、サンタクロースは「セント=ニコラウス」だと当たり前のように書いてありますから、きっとそうなんでしょう。

写真は、以前マンガンさんから聞いた「聖徳太子が持っているのは携帯電話ではないのか?説」(一度に10人との同時通話が可能らしい)
「なんかカッコよくなくなくない?」

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