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2008/05/30

自殺1(流行に流されるな)



話題沸騰の「硫化水素」。ほとんどのメーカーは材料(商品)を出荷停止にしたとか、ストアでは棚から消したとか、警察は作り方が掲載されているページを削除させたなど、いまや社会問題になっている。しかし自殺者は後を絶たない、断たないどころかうなぎ上りに増えている。

ハッキリいえることは「楽(?)に死ねるのだったら死にたい」と思っている人がいかに多いかということだ。痛かったり苦しいからいままで自殺に至らなかっただけで、苦痛を伴わないのだったらイッペン死んでみたいと考えている人が、もともと相当いたということを裏付けている。

だがはたして本当に“楽”なのだろうか。生き返って『全然苦しくなかった』と証言した人はいないのだ。身体がまったく動かなくても意識がないとはいい切れないだろう。よしんば一瞬で意識がなくなり、苦痛も伴わないとしても、あえて惨たらしい遺体(どこかに公開してあったらしい...)を他人にさらけ出すような死に方を選択できる人の気持ちは、ワシにはわからない。以前では楽に死ねそうな方法として一酸化炭素が多かったが(先日もアナウンサーの女性が...)今回のように流行ともおもえるほど連鎖はしなかった。

死というのはふつう苦痛を伴うのがあたりまえで、自殺しようとする人はその“死ぬ苦痛”と“生きる苦痛”を天秤にかけて、「死んだほうがましだ」と結論づけて行動に移す。それが楽だとなれば当然生きる苦しみのほうが重くなるし、ましてや辛い経験の少ない若い人は、些細な出来事も重く受け止めてしまうのは無理もないことだ。

ワシはこの歳になるまで真剣に死のうと思ったことは一度もない(死んでもいいと思ったことはある)。それだけ運のいい半生だったといわれればそれまでだが、ようは人生どれだけ感じられたかだと思っている。普段ニコニコしていられて、時々泣いてたまに怒って。いろいろなことに感銘を受ければそれはそれで楽しい。

孔子だったか論語にこんなのがある。

朝に道を聞けば夕べに死すとも可なり
(あしたにみちをきけばゆうべにしすともかなり)

人としての真の生き方を悟ることができたら、たとえその日のうちに死ぬようなことになっても悔いはないという意味らしい。真理や道徳の尊さや、それを学ぶことの困難さを説いた言葉だという。なんとまあスゴイ考え方だ。しかしどう生きようが誰だっていずれ死ぬ(近所の92になる荒川のジイさん以外は)。なにも今じゃなくてもいいだろう。 ....つづく

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