用務員ぢょんたが日々勝手なことを書き綴っています。
[用務員日誌TOP

2008/08/01

「俺もやる、やってやる」



ネットで殺人予告などをして逮捕されたという事件が連日起こっている。この間などは、小学校教師が自身のブログで「教頭抹殺したい」などと書き込んで免職処分になっている。しかしネットやブログにそんな事を書けばすぐ御用になるということは想像に難くない。にもかかわらずなぜ書くか。これはおそらく頭のどこかでモニターの中をバーチャルな世界と混同してしまっているからじゃなかろうか。

通りすがりのネットカフェで匿名性の高い掲示板へ書き込んで、すぐに立ち去ればたぶん特定できないだろうし、いくつもクシをさして巧妙にやれば大丈夫だろうけど、そもそもそこまで危険を冒してするほどの行為とはとても思えない。ようするに「軽く考えている」ということなのか。そんなに不満があるなら自分の部屋で独り言をわめき散らせばいいし、日記やテキストエディタに百万回でも書けばいいのに、それでは「対象者」がいないので満足できないのだろう。

で、きのうはネットじゃないけど、向かいの「専修大学」で、学生にセクハラ行為をした非常勤講師が解雇されたというニュースが出ていた。まったく、つまらないことで将来が台無しだ。しかし、いきなりクビにすることもないだろうに、十分反省しているのであれば謹慎処分ぐらいでいいんじゃないかと思ってしまうワシは甘いのか。

教師といえば2003年に起きた「教師によるいじめ」、いわゆる『殺人教師』の事件は“でっちあげ”だったらしい。いわゆる冤罪だ(なにをいまごろ古いことをといわれそうだが)。火のないところに煙はたたない、その先生も多少厳しいところはあったのかもしれない。だがそのために人生を棒に振ったわけだからまったく気の毒な話だ。

30年ほど前まで教師の体罰は当たり前だった。しかもそれが出来る先生には「正当!」といわしめんばかりのオーラというか威厳があったし、世間からも一目置かれる人格者だった(それがいやで教師を退職した人も知っている)。子供も「悪いことをしたのだから罰を受けるのが当たり前」と思っていたし、家に帰って報告しようものなら、親からもう一度殴られるのでもちろん黙っていた。

別に体罰を推奨しているわけではない。大人だって盗みをすれば罰を受けるし凶悪犯罪を犯せば極刑だ。『道徳は法律の上位にあるもの』だそうだし、大人になるまでに最低の善悪の判断がつくようにするのが教育というものだろう。「殴られもしないで一人前になったヤツがどこにいる!」っていうことわざもあるし。(ことわざなのか!)

とにかく「教師」という職業も地に落ちたものです。これもすべて、なにかと無意味に細かい規則と、無責任な世論によるものかもしれませんよ。

孔子も言っています。
「これを導くに政をもってし、これを斎(ととのう)るに刑をもってすれば、民免れて恥なし。これを導くに徳をもってし、これを斎るに礼をもってすれば、恥ありて且つ格(いた)る」
(人を導くのに規則や命令でいうことをきかせようとし、従わないときは罰を与えようとすれば、人はその罰から免れられさえすればよいと思い、悪いことをしても少しも恥ずかしいとは思わない。ところが徳をもって導き、礼をもって接すれば、恥ずかしいと思って心から悔い改める)というような意味です。

「厳しく締め付けられた管理社会は、かえって人や社会を悪くする」ということでしょうか。

0 件のコメント: