2008/06/01
道 自殺3(その心理と行動)
「生きていてもつまらないから死ぬ」という人がいる。まるで「テレビがつまらないから寝る」というのと同じように。その人が悪いのか社会が悪いのか、おそらく両方なのだろう。そういう人が死んでも同情はできないが、せめてせっかく生まれてきたんだから、ドナーバンクに登録してから部品が使えるように死ぬとか、あるいはWHOのボランティアに1年ぐらい参加してから、気が変わらなかったら死ぬとか、ほんの少しでも何か世の中の役にたちたいとは思わないのだろうか。
一方、同情というか感銘を受ける出来事もある。ご存知かと思うが「福井火葬場心中事件」などは記憶に新しいところだ。いい記事だったのでウィキから丸ごと引用させてもらった。人の生き死には、考えれば考えるほど哲学の領域になってしまう。ワシなんかが手に負える代物ではないので、とりあえずいつ死んでもいいようにデスクトップにあるエッチ画像は消去しておこうと心に誓った次第だ(まだ消してなかったのか)。
福井火葬場心中事件(2005年11月)
福井県大野市の旧火葬場で焼かれて白骨化した二人の遺体が見つかった。歯の治療痕などから近くに住む80歳の男性と82歳のその妻であることが分かった。
付近には乗用車がエンジンがかけられたまま放置され、クラシック音楽が大音量で流されていた。不審に思った近所の住民が警察に通報。使用されなくなって30年たつという火葬場の火葬炉から二人の遺体が発見された。
二人は近所でも仲がいいと評判の夫婦だったが子供はなかった。妻は糖尿病を患い、ほとんど歩けなくなっていた上に数年前から認知症の症状が出始めていた。夫が車を運転して近くの病院に通っていたほか、掃除や洗濯など妻の介護を夫がすべて引き受けていた。そのため将来を悲観しての心中と見られた。
その翌日、市役所に夫からの遺言状と見られる手紙が届いた。手紙には住居や田畑などの不動産が細かく書き記され、「遺産は全て市に寄付します。」と添えられていた。書類の作成は約一年前と見られ、心中が周到に準備されていたことが窺えた。
使用された乗用車の中からはガソリンスタンドの伝票の裏にその日自宅を出てからの行動が事細かにメモされていた。
「午後4時半、車の中に妻を待たせている。」
「午後8時、妻とともに家を出る。」
「車で兄弟宅や思い出の場所を回って焼却炉にたどり着いた。」
「妻は一言も言わず待っている。」
「炭、薪で荼毘(だび)の準備をする」
「午前0時45分をもって点火する。さようなら。」
車から流れるクラシック音楽の中、二人はいっしょに火葬炉に入りロープを使って扉を閉めた。二人は寄り添ったまま骨になった。永遠を誓い合う結婚式のようであったという。
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